このブログで何度も書いていますが、私はWorkFlowyを「思考の作業場」として使っています。何か考えたいことや考えなければいけないことがあると、まずはWorkFlowyにそのテーマを書き込みます。
そこにどんどんメモ(文章の断片)を追記していき、それを組み合わせたり、さらに追記したり、削ったりしながら、考えを整理しています。
「思考の作業場」としてWorkFlowyを使っていると、ふと思うことがあります。
「思考」、すなわち「考える」とは何なのか。
1. 考えるとは
「考える」という言葉を聞くと、頭の中での作業をイメージしますが、何だか抽象的です。
小さい頃、よく「自分で考えなさい」と言われました。自分の子どもにも、「自分の頭で考えなさい」と言っています。
でも、改めて「考えるってどういうこと?」と聞かれたら、明快に答える自信がありません。
「頭を使いなさい」と言われた子どもが本当に自分の頭を使って何かをしようとする、という笑い話がありますが、「考える」というのは目に見える具体的な行為としてはとらえにくい言葉です。
ただ、私は実感として、「文章を書く」という行為が「考える」ことだととらえています。
文章を書くというのは、文章の断片を組み合わせたり、前後を入れ替えたり、新たな文章の断片を書き加えたり、削ったりなどをしながら、1つの流れを作っていく作業です。その作業をしているとき、「考える」ことをしている、という実感が湧きます。
しかし、「考えるとは、文章を書くことである」というのは少し言い過ぎでしょう。
せめて、「文章を書くことは、考えることである」となら言えるかもしれません。
では、「考える」とは何か。
文書を書くこと、とは言えないまでも、文章を書いているときに頭の中で起こっている作業、となら言えそうです。
それを的確なたとえで表現している文章があります。『日記の魔力』という本の中にこうあります。
「物事を「考える」というのは、ちょうどジグゾーパズルを作り上げていくようなものだ。最初は何を意味しているのかまったくわからなくても、情報という名のピースをどんどん詰め込んでいくと、そのなかのいくつかが結びつき、ある日と突然、全体像が見えてくる。そのとき、このピースとこのピースがつながるのではないか、このブロックはこういものを表していたのだ、というようなことをつかむ力がイマジネーションである。」
文章を書いているときにも、似たような感覚がありますが、考えることを上手にイメージできる表現だと思います。
考えるとは何か。
たとえるなら、ジグソーパズルを作り上げるようなものである。
悪くない答えです。
2. おわりに
第2の脳と呼ばれたEvernoteに代表されるよう記憶はコンピューターがする今の時代、「記憶」よりも「考える」ということに真剣に向きあいたいと思っています。
自分にとって「考える」とは何なのか。
今紹介したたとえも含めて、「考える」ということについて、自分なりのイメージを持っておきたいのです。
では、
あなたの「考える」とは何ですか?
そして、いつ、どこで、何を使って「考える」ことをしていますか?