以下のブログを読んで、自分がObsidianをScrapboxのように使っていることに気づきました。
記事でいう「Scrapboxとして使う」という感覚は共感します。
私の場合、Obsidianの中にScrapboxの精神が生きている、という表現の方が自分の感覚には合っているかもしれません。
Obsidianに移ることができたのは偶然です。 Templaterが大きいですね。 アクションが組めるからTextwellの作業を持ってこれる。 2Hop Linksもありがたかった。「Scrapboxとして使う」という発想の転換になりました。 Obsidian界隈で言われるLYTやMOCを気にしなくて済みます。 あれは神経質な感じがする。 怠け者には向きません。
同記事で紹介されいている「Room」に惹かれて愛用している理由も、Scrapboxの精神が自分の中に残っているからだと思いました。
RoomはもちろんScrapboxの真似事です。 それ以上ではありません。保存したテキストがタイムラインで並ぶ。 「管理しない管理法」のベースになります。 大切なのはテキストでありファイル管理ではありません。 ファイル管理に手間をかけないようにする。 リソースをメモ作成に振り分けることができます。
Scrapboxを使っていたときの「分類しなくていい爽快さ」が蘇ります。
いや、正確にいうと、Scrapboxを使っていたとき、これだけは分類したい、というものがありました。それがObsidianではフォルダで分類できる。
必要最小限の分類。
これがObsidianではできる。
完全なScrapboxではないObsidian。その中で生きるScrapboxの精神の片鱗の数々。
また、同記事の中の「フローとストック」の考え方はいさぎよいですね。フォルダやタグで分けたくなりますが、これで十分。フラットに並べるというのは、こういうことなんだと改めて思い出させてくれる。
修正日順に並べるだけで、どれがフローでどれがストックか見当がつきます。 フローは今取り掛かっているファイル、ストックは動きの止まったファイル。
フラットに並べると、ストックも見えやすくなる。後ろの方にいくけど、フラットに並ぶことになるので目に入る。ストックがフローに活かされていることも見える。そんなことを以下の文章から思わされます。
フローを書き換えていくわけだけど、それにはストックの後押しがあります。 ストックは苗床で、寝かせてあることでフローが生えてきます。 ストックがないと新しい発想は出てこないものです。 とりあえず書き留めて、そのまま土に混ぜておく。 肥やしにするから箇条書きのままでいいし、検索で呼び出せればいい。
最近、Obsidianでブログの原稿を書くようになりました。
それをそのまま投稿しているので、Obsidianの中にブログの内容があります。その元になったノートもあります。ブログとして公開するまでに思考してきた足跡です。
さらに、その足跡は止まりません。
ブログに公開した後も継続する。考えたことをObsidianにメモしますからね。
公開したものはブログだけど、Obsidianの中にある内容もブログという感覚を持ち始めていたので、この表現はしっくりきました。
普通は外に出ているところを「ブログ」と呼ぶのでしょうけど、個人的にはローカルに死蔵された部分も「ブログ」と感じています。
さらに、Kindle本もObsidianで執筆するようになりました。
だから本の元になったノートがある。しかも分割執筆法で書いているので、小分けになってObsidianの中にある。また、本としてまとめあげた後も書いた内容は進化していく。それはObsidianの中にある。ブログと同じ。
だから、Obsidianは自分の知的生産ログ。
そう思うようになってきました。