先日、これまで本ブログで書いてきた「WorkFlowy」に関する記事のまとめ記事を作りました。類似した記事をグループ分けし、少し体系的に整理してみたのです。
記事を整理しているとき、「そうか、自分はこういうことを言いたかったのか」という気持ちになりました。
ふだん、ブログの記事を書くときは、書きたい内容があって、それを書きます。ときには連載記事にして一貫したテーマで書き続けたり、逆に、これまで書いてきた記事と何の関連性のない記事を書いたり、気の向くままに書いています。ただ、連載記事のように複数の記事で何かメッセージを伝えるというのは、まれで、だいたいがその時々に書きたいと思った内容を思いつくまま書いています。
今回、WorkFlowyのまとめ記事を作っているとき、自分がこのブログでWorkFlowyについて何を伝えたいのか、大きいメッセージがぼんやり見えてきた気がしました。そのとき、前述の、「そうか、自分はこういうことを言いたかったのか」という気持ちになったのです。
ふと、先日、読んだこの記事の内容が頭に浮かびました。
「小さな作品」をたくさん積み重ねて、大きなメッセージを表現する-単純作業に心を込めて
この記事では、以下に引用したように、あらかじめ伝えたい大きなメッセージがあり、そのメッセージの一部分を小さな作品(ブログの記事)として、公開し続ければ、大きなメッセージが表現できる、と言っています。
「小さな作品」が表現できるメッセージの範囲は、最初に思い浮かんだ大きなメッセージのうち、ほんの一部分です。では、大きなメッセージの残りの部分は、陽の光を浴びず埋没し、価値を生み出さないのでしょうか。
そんなことはありません。大きなメッセージの残りの部分からも、小さなメッセージを取り出して、ひとつずつ「小さな作品」を書き上げて公開すればよいからです。「小さな作品」を投稿するという低いハードルを超え続けることで、いずれは、最初に思いついた大きなメッセージの全体を表現できてしまうかもしれません。そして、大きなメッセージのほとんど全体を表現できたなら、そのときに改めて、大きなメッセージの全体を扱う、少し大きめサイズの「作品」を公開すればよいのです。
今回、私がWorkFlowyのまとめ記事を作っているときに感じた感覚は、これとはまったく逆のアプローチでした。
これまで書き続けてきたWorkFlowyの記事を寄せ集めて体系的に整理していたら、自分が伝えたい大きなメッセージが浮かび上がってきた、という逆の方向です。
しかし、日々、公開しているブログの一つひとつの記事が積み重なることで、大きなメッセージとなり得る、という部分ではまったく同じことを言っていると思います。
今回、WorkFlowyの記事がたまってきたので、体系的に整理して、読んでいただきやすくしようと思って作ったのですが、思わぬ副産物として、自分がこのブログで伝えたいことが見えてきました。私は、本ブログを通じて、WorkFlowyの多様な使い方の提案とWorkFlowyとEvernoteを上手に使い分けた情報管理の方法について、伝えたいのです。