『終末のフール』という伊坂幸太郎氏の短編小説を読んでいたら、現在、ふたりの子どもを育てる親として、琴線に引っかかった言葉がたくさんありましたので、子育て中の親目線で、この小説の中に出てくる名言を紐解いていきたいと思います。
ちなみに、言うまでもありませんが、この小説は子育ての内容ではありません。小惑星が地球にぶつかることが判明してからの混乱の世の中を、それぞれの主人公の視点から描いた短編集です。
1. 『終末のフール』の中で見つけた「子どもにかけてあげたい言葉」
(1) 子どもを許すときにかけたい言葉
「演劇のオール」という短編の中の言葉です。、演劇を目指して上京した娘が、自分には才能がないと悟り、実家に戻ってきたときの両親のセリフを回想するシーンです。
「こんな娘を許してください」と挨拶をすると、父と母は愉快げに顔を見合わせて、「かわりに、おまえもいつか、誰かを許してあげなさい」と言った。
同じ親として、かっこいい!と素直に思いました。
子どもが何か失敗や過ちを犯したとき、親として、どういう声をかけるのか。こんなふうに子どもを許せたらいいな、と思った言葉です。
さらに、こう続きます。
「わたしが上京した時も、全然うろたえなかったね」 「だって、役者を目指して死ぬわけでもあるまいし」と母は飄々と答えた。
そう、親の基本的な願いはこれだけです。子どもが元気でいてくれさえすればいい、ということだと思います。少なくとも私はそうです。
でも、いろいろ欲が出てしまい、多くのことを子どもに期待してしまうんですよね。身にしみる言葉です。
(2) 子育てに迷ったときに見返したい言葉
これも同じく「演劇のオール」の中の言葉。
主人公が近所のおばあちゃんと話をしているときのおばあちゃんのセリフがこれです。
どうしたら子供のためになるのか一生懸命に考えて、決めたなら、それはそれで正しいんだと思うんだよねえ、わたしは。外から見てる人はいろんなこと言えるけどね、考えて決めた人が一番、偉いんだから」
子育てをしている親にはぐっとくる言葉です。
親として、子どものことを一生懸命に考えて下した決断は尊いものだと思います。決断した、というところに当人にしかわからない難しさがあるんだと、実感しています。
(3) 子どもが焦っているときにかけたい言葉
「冬眠のガール」の中の言葉です。両親を亡くした主人公の母が娘によく言っていた言葉です。
やらなければいけないことを一つずつやり遂げていく。一つやり終えたら、次のことが見えてくるから。慌てずに。
宿題やテスト勉強で焦ってしまって、あれこれ手を出してしまう、といったときにかけてあげたい、と思った言葉です。
さらに、仕事中の自分自身にも身に沁みる言葉ではありますね。
もう一つ、こんな言葉もあります。小説の冒頭に出てくる言葉です。
今日という日は残された日々の最初の一日。
今、目の前のすべきことをして今日という一日を大切にしよう、という気持ちになる言葉だと思います。
子どもが焦っているときには、この2つの言葉を思い出してみてはどうでしょう。
(4) 子どもの自律を願ってかけたい言葉
「鋼鉄のウール」の中で、ボクサーがインタビューアーに練習は好きかと聞かれたときの答えに共感を覚えました。
「俺は、俺を許すのか? って。練習の手を抜きたくなる時とか、試合で逃げたくなる時に、自分に訊くんです。『おい俺、俺は、こんな俺を許すのか?』って」
私自身もこの考え方を大切にしています。まわりがどうではなくて、自分が自分を許せるのか、自分自身が納得がいっているのか。判断基準は自分自身が持つ、という姿勢です。
子どもにも、こういった姿勢を持って、自律をしてほしいと願います。
(5) 子どもが後悔したときにかけたい言葉
「太陽のシール」で優柔不断な主人公に向けて妻が言った言葉です。
あの時ああしてれば、とか、こうしてれば、とかいうのは、結局どっちを選んでいても同じような結果になるんだって。
選択した結果に対して後悔しているときに、もちろん、その選択に至るまでの過程や考え方が適切だったのかを振り返る必要はありますが、時間は戻せませんので、こういった言葉は救われると思います。
自分自身にとっても大切にしたい言葉です。
2. おわりに
こういった言葉は、すぐに忘れていってしまう、と思う方は多いと思います。私もそう思いつつも、こうして具体的なシチュエーションを想像しながら、こういった名言と向き合っていると、潜在意識の中に入り込んで、いざというときに、ポッと頭のなかに浮かび上がるのではないか。と、経験上、そう思っていますので、琴線にふれた言葉と出会ったら、真剣に向き合おうと思っています。